子どもたちは、この時代に生きる限り、勉強する必要があります。
その勉強の方法は、自覚によるものである必要があります。
その自覚のためには、「自分自身のために」という強い心が必要です。
その心は、考える癖と力から導かれます。
その癖と力は、練習することで育ちます。
その練習こそ、自覚と自発によって、初めて果実となります。
つまり、考える練習をすることで、人は学ぶ力を身につけます。
そのようにして身につけた学びは、自分自身の価値観を形成していきます。
両親を喜ばせるためではなく、自分の格好つけの材料でもなく。
これが人の本質が育つ部分に直結する価値観になります。
もし、そうではない方法で生きていくとすると、思春期にほころびを見るかもしれません。
それは、「両親に気に入られたい」という自分以外を根拠とする願望からはじまります。
思春期は、思い切り自分を見つめる時なので、「これでいいのか、よかったのか」と自問します。
結論にたどり着けないままに、悶々とします。
自分自身を、自分自身が形成してきた価値観と比較するのです。
結果、他人のせいにしたいと願うようになり、どこかほかの場所へ逃げてしまいたくなることがあります。
この時、この人は自分が「勉強」してきたのはいったい何だったのか、と思いを馳せます。
そこから、再出発できる場合は、確かに「勉強」が生きているのでしょう。
ただひたすらに、自分の中にあるのではない価値観を追い求めようとすると、
今までの「勉強」は生きていない、ということになります。
それでも、生活をしていくことはできます。
お金持ちになるのも可能かもしれません。
最後的に、自分自身に対して、「うん」とうなずける生き方であったかどうか、というだけのことです。
この振り返りの中で自分を見つめようとすることのできる人は、実は、幼少期に「遊んだ」人々なのです。
考える癖と力は幼児の遊びによって育成されます。
どんな環境の違いや、変化にも、力強く生きていく人になって欲しい、と願いながら、日々の活動を考えます。
Vol. 34 No. 66 10/30/2015