協力に感謝いたします
素晴らしい
素晴らしい運動会でした。
天気にも恵まれました。
感謝でいっぱいです。
開場直前に場所取りのためにならんでいただいていた10名ほどの皆様に、会場設営を手伝っていただき、時間通りに開けることができました。
ありがたく存じます。
運動会を終えると、毎年のことながら、本当に元気です。
顔が変わります。
体つきも変わります。
運動会という日を過ごさせていただけたことに、ほんとうに感謝いたします。
ひまわり会クラス委員のみなさま、園児係のみなさま
ひまわり会クラス委員の皆さんと園児係りの皆さんに多くの場面を助けていただきました。
誠に、ありがとうございます。
入場門に来ないで
運動会進行中にわくわく組の保護者の皆さんに、「入場門に来ないで」とお願いしました。
これは、単純な課題なのです。
入場門で並びこむ子どもたちは、実はとても努力をしています。
特に2〜3歳くらいは、その努力の具合がとても大きい場合があります。
朝、家を出るときは意気揚々と家族とともに、会場まで来たにもかかわらず、突然、「別離」を宣告されて、並ぶわけです。
子どもの気持ちは「家族といたいけれど自分はこちらに意識を向けなければ」と不条理な状態です。
その気持ちの中には、「ねばならない」と「そんなのどうでもいい」などが混在していると思われます。
この時、ご家族が、わざわざ入場門へ足を運んで、「ここにいるからね」と顔を見せることは、残酷です。
空腹なのに、食べ物を見せられて、実はそれを食べることができない状態を再現しているかのごとくです。
大人は、少しでも安心してくれるように、との思いでしょうが、子どもの心は逆です。
自主自立の精神がさらに芽生えて、成長した時は、少し顔を見せることも有効かもしれませんが、この年齢では「私はここにいるけれど、一緒にはいてあげないよ」と意地悪されているように思っている、と想像できます。
子どもたちは、友だち(社会)へ交わろうと、痛々しい努力をしています。
どうか、その気持ちをわかっていただきますよう、お願いします。
もちろん、保護者の皆様の「安心を与えたい気持ち」も十分に理解しております。
Vol. 37 No. 58 10/11/2018
入場門に集まろうとしている幼い子どもたちに保護者が顔を見せることは残酷
記録
- 2018年10月15日
- 修正
- 2018年10月11日
- 記述