学習発表会では、ほんとうに温かな眼差しで観客席からご参加いただき、何と感謝申しあげてよいかわかりません。
もう、17回も市民会館を使わせていただいているのに一度として、「慣れた」年がありません。
緞帳が上がる度に心がワイプされるようで、新鮮な時間を経験させていただいています。
また、そんな時間を持たせていただけることに、深く感謝いたします。
さて、今年も子どもたちが巣立っていきます。
成長はいつも、残酷ですね。
親という存在を無視するかのごとく、どんどん大きくなっていきます。
もうすこし、ゆっくり大きくなったらどうですか、といくら呼びかけても、構わず行ってしまいます…行ってしまうから、いいのですけれど…わかってはいるのですが…。
教育要領の改訂とともに、子どもたちを新しい教育体制が待ち構えます。
元気であればいいじゃないか、遊ばせておけばいいじゃないか、と思うだけではすまない状況が改めて問われています。
そんなことは当たり前で、ルソーの時代から指摘されていました。
当然、教育とはある方向性と意図をもって、進められなくてはなりません。
しかし、とかく人は間違いを犯してしまいます…が、その間違いが全日本的規模であったとしたら…。
誰が責任を取るのでしょうか…だれもとりません。
ひたすら、子を思う親が懸命に髪を振り乱して「対処」する現実だけが残されます。
<注>この項目は当時のまま掲載しました。ゆとり教育に対する警鐘を鳴らしたつもりです。
日本の若者は欧米の若者に比べて遥かに幼稚です。
幼児性がなかなか抜けません。
好きなことに対しては執拗なほどに一生懸命になるのに、壁にあたると、引いてしまうのです、もしくは、誰かのせいにしたくなるのです。
壁にあたっているにもかかわらずそれでもなお、その壁を克服することに力を注がないで、それまで自分が得意としてきたことだけに専念して、いわば、心の逃避をしてみせる…これは幼児性のなせる業です。