ゆとりとは、単に暇な時間のことではありません。
意識して自分の力で作った生活のリズムの中で、生まれてくる、すき間の時間と空間のことです。
すき間だからこそ、その貴重さ加減がわかります。
すき間だからこそ、集中力が発揮できます。
そしてその時間としてのすき間の長さと、空間としてのすき間の深さは、自分で決めるもの。
これこそ、他者からは与えられ得ないものです。
ゆとりという名のもとに、毎日がテレビ漬けになることを、誰も望んでいないはずです。
テレビが栄養と化すのは、積極的に自らそれを求めるときです)。
自分で◯◯がしたい、と強く望む心のことをパワーと呼びます。
これもゆとりと同様、他者から与えられ得るものではありません。
これもゆとりと同様にして、伸び切った時間と空間の中からは生まれてきません。
自らの力で歩こうとするとき、はじめて心がパワーを得ます。
また、このパワーを一度でも体験したことのある人間(子ども)は、 他人のパワーも理解できるようになります。
このことをおもいやりと言います。
ちっぽけな同情とおもいやりが異る所以です。