卒園してからもなお、連絡をいただくのは、ありがたいですね。
母が胃癌の手術のため入院していた時、二人部屋で同室のおばぁさんの所に、 一族8人も見舞に来て、赤ん坊を扱うように誉めたりしながら 大騒ぎで食事をさせようとしていましたが、 おばぁさんは石像のようにニコリともしないどころか、 ほとんど目も開けず、感情を失ってしまった人のようでした。
ところが、その後、中年の男の人が一人で見舞に来たとき、 おばぁさんは「まさしー、まさしー」と声をあげてオンオン泣き出したのです。
どうやら自分が面倒を見た初孫に会いたいようで、 その人が帰った後も、 唸るように「まさしーまさしー」と呼び続けたのです。
翌日、祈りが通じたのか、その「まさし」がやって来たのです。
ハタチ前くらいの、期待通りの青年で、 「アイスクリーム買ってきたで。ばあちゃん、半分こしよ」 とベッドに座りました。
その言い方はどんなにおばぁさんを喜ばせたことでしょう。
恐らく、生まれながらにして、人を喜ばせることを知っている部類の人なのでしょう。
おばぁさんは二口ほどしか食べられませんでしたが、 たとえ毒だと知っていても、喜んで口にいれたことでしょう。
心を溶かしたおばぁさんは、素直で無防備な、ほとけ様のような姿でした。
おばぁさんは、数日前まで元気に働いていたのに、どこかにたまった水を抜いたら、 突然そうなったということでした。
手を骨折していたためか、ベッドは起こしたまままなので、 全く動けないおばぁさんの体はズリズリ下がってきて、寝間着ははだけて、 ほとんど裸状態になってしまうので、その度に看護婦さんを呼びにいきました。
輸血が漏れて床に赤いものがポタポタたれていたこともあります。(略) 時々、おばぁさんが小さい声で「看護婦さーん」と呼ぶので、 私が「おばぁさん、何?」と聞いてあげるとぱっちり目を開けて、ニッと笑うのです。
他人の私だけが「まさし」を呼び続けたことと、おばぁさんの笑顔を知っているのです。
それは、たった二日のことなのですが、おばぁさんのことは妙に気になっていて、 次に行った時に「あのおばぁさん、どうなったのかな」と兄に聞いたら
「あれからすぐ亡くなったよ」 と言うのでびっくりしました。
理由は分かりませんが、多分、娘さんにさえ笑顔を見せず言葉も交わさないまま 逝ってしまったのでしょう。
「まさし」が来てくれたので、もういいやと思ったのでしょうか。
身内でなくても、最期を看取りたかったと思うおばぁさんでした。
Vol. 18 No. 49 10/30/1999